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取るに足らない日々の出来事

シンガポール・ミャンマー(2004)

2004年9月13日から17日、シンガポールとミャンマーへ行ってきた記録です。

***

2004年9月、私は出張でミャンマーへ行ってきた。
ミャンマーでアジア各国の関係者フォーラムが開かれたのだった。
当時、私は韓国に住んでいたのだが、韓国からミャンマーへの直行便はない。
よって、シンガポールを経由してミャンマーへ入ることになった。


シンガポールでは、フラトンホテルに泊まった。
1928年に建てられ、中央郵便局などとして重要な役割を担ってきたが、
3年の改築工事を経て、2001年にホテルとして生まれ変わった。
ここのホテルは、本当に素敵だ。
プールでくつろぐのもよし。スパへ行ってまどろむのもよし。
ベッド周りのリネン類もいい。
質の良いシーツは、まるで肌に吸い付くようだ。


 


***

翌日は、シンガポールからミャンマーへと飛び立った。
ミャンマーでは、フォーラムに参加したり、工業地帯を見学したりしたのだが
そういった仕事の合間に、街を見る機会も少しずつあった。


人口500万のミャンマーの首都ヤンゴンは、1755年に王アランパヤがヤンゴンと名付けたと言われている。
ヤンゴンとはミャンマー語で「戦争の終わり」ということを意味している。
他の東南アジア諸国と違い、未だ戦前の建物も残りイギリス植民地時代の面影が残っている。




ミャンマーは、ちょうど雨季だった。
一日中、雨が降っているわけではないが
毎日、夕方には必ず一雨くるといった具合だ。


ミャンマーでは、道行く人の服装が印象的だ。
老若男女問わず、「ロンジー」という一枚の布でできた腰巻を身に纏っている。
「ロンジー」の巻き方は、男女で違うのだそうだ。
「ロンジー」の巻き方を教えてくれたミャンマー人は、
巻き方を工夫すると、丸まった布の端がポケット代わりにもなるのだと言っていた。
道端には、ロンジーを売る店が軒を連ねていた。
そして、皆、足には草履を履いている。
なんとなく、日本の浴衣を思い出し、親近感が湧いた。


 


ミャンマーは、仏教国だ。
道を行くお坊様に目が引きつけられる。
なんとなく、体つきが逞しいような気がするのは、気のせいか。




ヤンゴンの街の真ん中には、シュエダゴンパゴダという仏塔がある。
約2500年前に建てられたというシュエダゴンパゴダは、高さ98メートルで全体が金箔に包まれている。
伝説では、ある商人の兄弟がインドで釈迦からもらった聖髪を納めたのが始まりらしい。
パゴダの上部には、6000個を越えるルビーやダイヤモンドなどの宝石が散りばめられ、
そこにあるダイヤは、総計で2000カラットを越えると言われている。




これらの金箔や宝石は、ミャンマー人が信仰心から寺院に寄付をしているのだという。
仏塔は、ただでさえ眩く金色に煌いていたのだが、
それでもなお、金箔は余っているらしい。
信仰心の厚いミャンマー人が、どんどん寄付をするからだそうだ。


パゴダには、昼間から大勢の人が集まっていた。
ここには、ヤンゴン市民だけではなく、ミャンマー中から人々が集まるという。
パゴダに来て、一日中、祈りを捧げながら過ごす人も珍しくないらしい。
日本の健康ランドのようなところなんですね、と言ったら、笑われた。


パゴダの周りには、小さな仏塔が数え切れないほど立ち並んでいた。
そのひとつを覗くと、小さな仏像が安置されている。
聞くと、これは一般人の「お墓」なのだそうだ。
(実際に、ここに遺骨があるのかどうかは定かではないけれども。)
ミャンマーの人々は、ここに自分の仏塔を置くことを夢見ているのだそうだ。
もちろん、そのためにはある程度の「寄付」をする必要があるのだが。
そして、そのためにはある程度裕福である必要があるのだ。





また、パゴダの周りには、仏像がたくさん置かれた倉庫のようなものもあちこちにあった。
まるで、仏像が、自分の出番を待って並んでいるようで面白い。

 


パゴダの周りには、小さな仏塔のほかに、お堂のようなものもたくさんあった。
お堂の中には、鐘が吊るしてあった。
日本の寺の鐘のように、鐘をつく棒が見当たらないので不思議に思っていたら、
まるで杵のような棒を持って、このように付くのだと教えてもらった。
こうやって、小刻みに鐘をついて祈りながら、鐘の周りを何周も回るのらしい。




このほかに、チャウタッジーパゴダへも行った。
ここは、高さ17.7メートル、長さ65.8メートルという大きな寝釈迦が有名だ。
1907年に建立されたが、気候などの影響で老朽化したものを1996年改装し直したという。
巨大な涅槃仏は、男とも女ともつかないような表情で横たわっていた。
まるで、両性具有のようだな、と思った。
ここでも、涅槃仏の前で一身に祈りを捧げる人たちをたくさん見た。

 


仕事だったせいで、あまり一人でうろうろとすることは出来なかったし
ミャンマー料理も食べられなかった。


けれど、ミャンマーはとても印象的なところだった。
ロンジーを履いて、草履で歩く人々を見ると
日本にも、こんな風にゆったりと時間が流れている時代があったのだろうな
と、何となく考えさせられたのだった。







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